釣りと殺生・生存の多重円

ダライ・ラマ14世

ダライ・ラマ14世(画像著作者: Christopher.Michel)

釣りと殺生

最近のこと、Facebookの記事で『坊さんがフライフィッシングをしている』画像があった。

その記事と画像はその坊さん自身がアップしたものである。

本人の自己紹介によると、素人目には結構戒律が厳しいとされていた宗派の僧侶である。

「ありゃぁ・・・坊さんとわかる格好で殺生しててもいいのかな」とふと思った次第。

まあ今時のことであるから、僧侶がプライベートにおいて、それが僧侶だとわからない扮装で釣りをすることまで意見することもないと思うが、投稿画像はもろに「坊主が釣りをしている」のであった。

ボロボロの魚に思う

さて、天川の管釣りシーズンに突入し、今年も早速竿を出した。そして天川でなくとも管釣りでいつも思うことは「魚がボロボロ」であること。

管釣りで釣れる魚はおしなべて鰭(ひれ)がボロボロである。

尾びれはとんがりがなくなって丸くなり、まずくすると胸ビレが欠損していたり、そして口先の表皮がむけていたりで大変痛ましい姿である。

養殖の生簀(いけす)から網ですくわれ、トラックの水槽に揺られ、またしても網で救われて放流され、そして釣られて網ですくわれ、暖かい手で触れられを繰り返せばそりゃあ鰭(ひれ)もボロボロになろうということだ。

普通に見てこれは不憫(ふびん)でならん。

これは天川の管釣りシーズンのニジマスだけでなく、放流のアマゴとて同じこと。

(ちなみに、天川で放流されなくなったイワナについては現状ネイティブに近くボロボロ感なし。)

しかし・・・

そもそもがこちらは釣り人としてそれらの魚を釣り上げ、そしてまた放すといった拷問を繰り返しているわけである。

自分がしていることを差し置いて不憫(ふびん)もへったくれもありゃしない、という現実がある。坊主が釣りをしていることを云々している場合でなく、自分自身のことである。

お察しの通り、これはいわゆる「キャッチ・アンド・リリースorイート」問題と通じている。

またこのように考え出すと魚そのものに対する殺生のみならず、自然環境全体としても想いを馳せることになる。

生存の多重円

直接的な「殺生問題」以前に、車に乗って走り続けた先に釣り場がある以上、人が娯楽の釣り目的で移動するだけで環境に圧力をかけているわけだ。

自分がしている娯楽の釣りという行為が、実際問題としていかなることなのか、忘れがちだと思うが、時々は思い直してみるのも悪くはなかろう。

自分自身・家族・地域社会・生物界全般・地球環境、これらは多重円をなしていて、どれにもおしなべてできうる限りマイナス要因を発生させないように考える他にはないだろう。多重円のうち、どれかひとつの円を潰せば全部潰れる仕組みになっているのだ。

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