フライフィッシングのイメージ画像

フライフィッシングではC&R(キャッチ・アンド・リリース)が一般的でしょう。その理由の筆頭は資源量に限りがありすぎるということがあると思います。(もちろん他に様々な理由があるでしょう。)

ところで、この「リリース」に関して大きな抵抗感を抱く人がいるのは確か。(釣種に限らず、横断的です)

その抵抗感に対して、その人達は様々に理由を述べています。

でも大体は以下のようなものが多いでしょう。
(外来魚問題を除く)

  • 資源量確保という考えに懐疑的。
  • 釣った魚はそもそも傷ついており、食べて供養してやろうではないか。
    (食いもしない魚を釣ることの殺生に対する抵抗感ですかな)
  • 金払って釣ってんだろが!元は取らせてもらうぜ!

などなど、もっともな理由付けはあります。が、どこかモヤモヤした感じがないでしょうか?

さて、私はこの「リリースしたくない問題」に関して見落としてることがひとつあると思っています。(当人たちが自らこれを語ることはないでしょうが)

それはその人の「根本的な心理」であって、後付けの理由以前のことです。

これを知ると「リリースの抵抗感」の理由に対する何かモヤモヤした感じが少しましになるかもです。

人は手放すことができない

人間は「喪失」することが大きな恐怖となっています。何かを失って悲しむだけでなく、将来失うことになるかもしれないという未来に対してまでも心配事を作ります。

この恐怖は、実は過去の経験に大きく影響されることがわかっています。

例えばですが、子供の頃に「好きなおもちゃを取り上げられた」という経験があります。それが躾であったか近所の悪ガキの仕業かは問いません。

または重いところでは誰かとの別離というのも喪失の一種です。恋人を失う、のもありですね。

これら「喪失の記憶」ということが積み上がって現在の自分自身に影響を与えます。

喪失は多くの人にとって大変嫌なことです。そして、様々な形での喪失がごちゃ混ぜになり、とにかく何かを失うことに耐えられません。もう論理ではないのです。ですからことによっては「ゴミ」でさえが手放せなくなり、ゴミ屋敷に住む人までいるのですね。何でも死守しなければならないのです。

で、釣った魚も逃すことができません。

その人はそれだけでなく、「誰かが魚を逃す」という話にでさえ「反応」してしまいます。(これ本当に反応なんです。当人にも制御不能。)

手放す能力とは

「喪失」それ自体は誰の人生にもつきもので、これを完全に避けることままず不可能でしょう。

しかし、何かを楽に手放すことができる人がいます。これは喪失に対する耐性がある、ということよりも「またそれを得ることができる」という自信につきます。

手放すことが楽にできる彼らは気楽なものです。「必要とあらばまた取って来い」です。

で、手放す能力がなければ「喪失の嫌な思い出」さえも手放すことができません。

手放すことができないのは、むしろ「所有する能力のなさ」の裏返しと言えるのです。

あなたが魚を逃すとき、何かどこか心に引っかかるものがあるとすれば、あなたは「過去」を見ている可能性が高いです。

以上のことは私の思いつきや出まかせではありませんよ。

以上、リリースできないことの考察終わり!

追記

C&Rを初めてするとき、それにかなりな抵抗感がある人も、回数を重ねると何ら気にならなくなるというケースも多々あります。

それはどうも学習によって喪失に対するレメディーが進んだ状態と言えそうです。C&Rを行う釣りによって、過去の経験からくる反応を理性で制御できるようになるという訳です。そうして同時に「所有性」がアップしています。

これは明らかに「釣りの効能」と思えます。